【特集】
日本人が見捨てた明?治の美「置物」彫刻の逆襲
芸術新潮 1995年
芸術新潮 3
新潮社
1995年
144ページ
約28.5x18.5x0.8cm
※絶版
特集記事は全62ページ、作品写真図版フルカラー。
日本人が見捨てた明?治の美「置物」彫刻の逆襲
西洋に「右へならえ」の明?治維新の到来で、突如、立場を無くしたのが、伝統の蒔絵や金工、彫り物を極めた職人たち。さて、この腕の冴えをどうしてくれる!?
独白伝統の技を守り通しつつ、近代?彫刻へとつなげた高村光雲。一方、殖産興業の波に乗り、海外へ活路を求めた人々もいた。彼ら明?治の職人たちが生んだ驚異の「置物」彫刻が、いま我々の前に躍り出てきた!
第一部では高村光雲、第二部では、海外取材として、大英博物館、ウェールズ国立博物館で開催された、ハリリ・コレクションによる展覧会「日本の帝室技芸員―ハリリ・コレクションの明?治美術」の紹介記事と、同展で初公開された明?治の超絶技巧を極めた金工彫刻作品から選りすぐりの逸品・奇品約20点フルカラー写真とわかりやすい解説で紹介。
めったにインタビュー取材は受けないという日本の明?治工芸美術品コレクター第一人者、ナセル・D・ハリリ博士のインタビュー記事を収載。
明?治時代?の工芸は、そのデザイン・技術ともに日本の美術史上最高峰の質でありながら、海外輸出用に制作されたもので、超絶技巧がこらされた細密精巧な作品群は、「外国人好みの玩弄趣味的細工物」とされ、ほとんどが海外のコレクター、美術館博物館に所蔵されており、なかでも最大の個人コレクション、ハリリ・コレクションを一般向けに紹介した記事自体も非常に少ないものです。
国内では2000年代?以降に再評価され始めたばかりで、1995年に出版された本書は現在と異なる視点で評されているものの、イギリスにおける展覧会でハリリ・コレクションが初公開され、明?治工芸美術再評価の端緒となったことがうかがわれる、
コレクター、愛好家必携の、大変貴重な資料本です。
【目次 一部紹介】
●特集 日本人が見捨てた明?治の美「置物」彫刻の逆襲
明?治維新でたちまち窮地に陥ったのが、蒔絵、金工、木彫などなど伝統のワザを極めた職人たち…さて、この腕の冴えをどうしてくれる?そんな職人パワーが新たな捌け口を得て一気に生み出したのが、「置物」彫刻の大輪の花だった!
「第1部」
明?治の木彫王 高村光雲ものがたり(撮影)高村規
光太郎の父、という枕詞はもう要らない!象牙彫一色の彫刻界にあって、木彫を独り死守した高村光雲の手技を堪能しつつ、江戸?の職人気質と人情に溢れた生涯を追う
光雲の彫りまくり一代?記
まさにこれ生けるが如し!木製・鳥獣戯画 光雲・青春篇
大日木帝国を"彫る"光雲・壮年篇
ワザあり!これぞ彫り物 光雲・円熟篇
大仏師・光雲これにあり 光雲・往生篇
高村光雲VS高村光太郎、
父子ライヴァルものがたり
彫刻家としては激しく対立した父子の"とっても変な"いい関係
光雲の孫が語る高村家のひとびと (談)高村規
16歳で逝った光雲の長女・咲子は絵の天才だった長男・光太郎、三男・豊周もそれぞれ芸術の道に進んだ、高村家の家庭環境は、これいかに?
「第2部」<海外取材>異人さんに買われていった明?治輸出工芸の底力
ハリリ・コレクションを中心に
"異人さん"の好みに合わせようと、持てる技を執拗なまでに駆使した細工ぶりは、悪趣味なほどの力を持っている こんな奇想天外な代?物が、明?治の日本で生まれていたなんて!?
輸出品だったがためにわが国では忘れ去られた明?治工芸が、いま我々の目の前に躍り出た!
"絢爛豪華″を輸出せよ 明?治職人の生き残り大作戦 (文)樋田豊次郎
明?治工芸に憑かれた人
ナセル・D・ハリリ博士のコレクション (文)宮下夏生
ナセル・D・ハリリ博士インタビュー
(アート・ニュース)
焼失からの大復活!古茂田守介を今、見直す
ニューヨーク生まれの美術革命「抽象表現主義」がやってくる!
武士のアクセサリーを作り続けて400年 金工・後藤家の名人芸 (武士を飾ったミクロの芸術 後藤家十七代?の刀装具展紹介記事 同展より約10点の作品写真掲載)
ほか
【見出し 掲載作品写真解説 ほか一部紹介】
第2部 海外取材
異人さんに買われていった 明?治輸出工芸の底力 ハリリ・コレクションを中心に
悪趣味なまでに大胆、過剰なこのデザイン―
これでもか、これでもかと持てる技巧を尽くしたこの出来ばえ……明?治の職人たちが生き残りを睹けて生んだ異形の工芸は、それが輸出用であったがために日本では忘れ去られて、欧米で静かに眠り続けてきた。この知ら
れざる明?治美術に狙いを定めて蒐集を続ける、ひとりのユダヤ系イラン人がいた……
正阿弥勝義 銀象香炉
明?治33年(1900)頃
銀・赤銅・水晶・貴石、象嵌・鍍金 高37.1
ハリリ・コレクションより(以下53頁まで全て)
c1995 The Kibo Foundation
刀装具で名をなしたこの金工家は、廃刀令以後
その枝術を置物に応用、絢爛さと象牙彫刻の細
密さとをあわせ持つ、こんな象まで生み出した
あたまのてっぺんから足の先まで、全身これ装飾!
原舟月 金高蒔絵関羽置物 明?治13年頃 象牙・銀・金蒔絵・金箔・銀箔 高36
実用性なにするものぞ 持てる技術のすべてを駆使したこの造形
芝山細工象牙飾付金蒔絵象置物 [40~41頁全て]明?治23年1890)頃
象牙・貴石・貝・銀、金蒔絵・七宝 高90
象の置物の背中にぶつ切りの象牙を直立させる、そのあまりの荒唐?無稽さ
にまず虚を衝かれる。だか、圧巻はなんといっても象牙の装飾。実石や螺鈿などを嵌め入れる『芝山細工』の技法を駆使して、片面に玄宗皇帝と楊貴妃を、もう一面に猿を追う鷲を描き出す。咲き誇る花の色の微妙な階調
の変化といい、衣装の地模様を表す繊細な毛彫りといい、クロ-ズアップするほど、粗が見えるどころかその徹底した仕事ぶりに驚かされるのだ。
明?治輸出工芸の有名ブランド「駒井」と「大関」
駒井音次郎 鉄地金銀象嵌農家人物図大皿 明?治13年頃 鉄、金銀象嵌 径48.2
鉄に金銀を嵌め込む「肥後象嵌」を学び、この技法でとことん作品を装飾したのが駒井音次郎。「京都住・駒井」の名は当時から西欧に知れ渡っていたという。
鍾馗紐付銀線七宝蓋物 銀線・銀・赤銅・四分一・七宝 高44
鬼を追い払う鍾馗様を蓋のツマミに、脚には三匹の鬼を配したこの作品は、東京と横浜に店のあった輸出問屋、大関弥兵衛の発注品。膨大な量の工芸を職人に制作させ海外に売りさばいていたらしく、明?治の工芸に最もよく見かけるのが「大関製」の銘である。
薩摩焼
精巧山 色絵金彩人物図陶器小鉢
明?山 色絵金彩生活風俗図陶器花瓶
藪明?山 色絵金彩四季農耕図陶器花瓶
錦光山 色絵金彩日光東照宮図陶器大花瓶
明?山 色絵金彩郡鳥図陶器花瓶 一対
エナメルの殻を破って産声をあげる烏天狗
小林春江 鋳銀烏天狗置物 銀、七宝、ブロンズ 高11.7×幅12
烏天狗は取り外すことも可能。卵をひっくり返せば、台座代?わりの落ち葉の上に一匹のかたつむりが這うという洒落っ気を見せている。
お馴染みの神々の、ちょつと不思議な゛顔合わせ″
海野盛寿 大釜ニ風神留神金剛力士像置物 部分、全図は1頁
明?治13年(1880)頃 鉄・銅・四分一、鍍金 高10x幅17.4
地獄の釜の前で自らを指さしつつ彼らはいったい何をしている?作者は、海野勝珉を筆頭とする水戸出身の金工師グループの一員。
根付から発展した"芝山細工"は、明?治工芸の華!
[上]正光 鷲飾付芝山細工花鳥図赤銅蓋物
明?治33年(1900)頃 銀・赤銅・七宝・貝・象牙・漆 高37.5
[右]金蒔絵芝山細工花下遊楽図瓢形酒器 一対
明?治23年(1890)頃 金蒔絵、貝・象牙・銀・赤銅 高17.2
過剰なまでの装飾が身上の明?治工芸だが、贅を尽くした華やかさという点では「芝山細工」に勝るものはないだろう。
「芝山象嵌」とも呼ばれるこの技法は、象牙や漆の下地に。鼈甲、象牙、彩漆、珊瑚、染象牙、琥珀、貴石、ガラス、貝などなどを嵌め込んで絵柄や模様を描きだすもの。江戸?時代?半ば、下総出身の職人・芝山仙蔵によって考案されたと言われることから、その名がある。初めは印籠のような小品に用いられるくらいだったが、明?治に入り輸出工芸が興ると。左頁の屏風のような大作を飾るようにもなった。ハリリ・コレクションには漆の名工・柴川是真の品格ある蒔絵も多い。だがその一方で、赤銅に漆を塗り芝山細工を施した上に七宝、彫金まで加えた蓋物のように、明?治漆芸のキッチュな味わいを堪能させる作品もまた多いのだ。
明?治の蒔絵屏風には、平和相銀事件の「金屏風」も真っ青!
金蒔絵芝山細工歴史人物図二曲屏風 一対 左隻部分
金蒔絵・象牙・珊瑚・鼈甲
工芸輸出の先駆的存在「起立工商会社」が製作した金工の逸品
鋳銅果実図花瓶 部分 ブロンズ・金・銀・銅、鍍金
高28.6 下図 山本光一/彫金 杉浦行也
鋳銅金銀色絵象嵌鶉ニ秋草図大花瓶 ブロンズ・金・銀・赤銅 鍍金高60・5 鋳造 鈴木長吉 下図 山本光一/彫金 杉浦行也
わが国の工芸を欧米へ売りまくれ!明?治政府の意を受けて、明?治7年、東京に設立されたのが「起立工商会社」だった。同社は、各地から工芸
品を買い付けるだけでなく。日本画家の渡辺省亭・山本光一に下図を発注し、後に帝室技芸員となる鈴木長吉(鋳金)、白山松哉、(蒔絵)、宮川香山(陶磁
器)、塚田秀鏡(彫金)、砥山光民(芝山象嵌)といった当代?の名工たちに製作を依頼して腕を揮わせた。起立工商会社の銘とマークが刻まれた掲載作品も、そ
の一例だ。関係した画家・職人はわかっているだけでも129人に及ぶという。
また、工芸の輸出問屋は数多くあったが、自社工場(陶器絵付所、第一製造場、第二製造場)で商品の製造をも手掛けていたのはここだけ。経営が悪化し明?治24年に解散するまで、同社は工芸輸出の輝かしいパイオニアだったのだ。
誰のサロンを飾っていたのか?薙刀持って仁王立ちする武者
鋳銅武者置物 一対 部分、全図は3頁 ブロンズ、鍍金・鍍銀 最大高226
この破天荒な置物の製作者は東京の美術商・宮尾栄助。日本の歴史や風俗を題材としたこうした置物は、彼の最も得意とするところだった。
明?治の「置物」彫刻、ここに極まる!
この置物はいったい何だ!黄泉の国に赴く途中の素戔嗚尊が龍神から玉を受け取る、そんな伝説が主題というのだが……。壮大なテーマをひたすらコテコテした細工で表現したのは彫金家・大竹徳国。実はこれと酷似した作品がアメリカに遺ってている(素戔鳴尊が武内宿禰に入れ代?わつているが)。そちらは明?治14年の第2回内国勧業博覧会に出品された鋳金家・大島如雲の作品で、下図を絵師・河鍋暁斎が描き、そして若き日の高村光雲が龍神の従者を彫ったことも分かっている。さてこの二
つの置物は、いったいどんな関係なのか。一方が他
方を真似たのか、同時に競作したものか。そんな謎
を孕みながらも、この置物は明?治工芸の技と心意気
のひとつの極限を、確かに見せていると思う。
大竹徳国 鋳銅素戔嗚(スサノオ)尊伝説置物
明?治13年(1880)頃ブロンズ・金・赤銅・水晶 高99×幅80
明?治工芸に憑かれた人 ナセル・D・ハリリ博士のコレクション (展覧会紹介、インタビュー記事より一部紹介)
昨年九月から四ヵ月にわたり、ロンドンの大英博物
館で「日本の帝室技芸員-ハリリ・コレクションの
明?治美術」という展覧会が開催された。出品されたの
は、明?治期に作られた金工、漆芸、七宝、102点。
「帝室技芸員」という名称は現在では馴染みがないが、
いわば皇室の保護を受けた当時一流の作家たちのこと
である。明?治の新貨幣や博覧会メダルを制作した彫金
師・加納夏雄や、無線七宝を発明?して天才七宝作家と
うたわれた濤川惣助をはじめとする帝室技芸員の作品
が一堂に会した。その多くは輸出向けに作られたもの
で、日本国内に残る作品にはない大胆なデザインや、
当時の技術の粋を尽くした精緻さは、日本から訪れた
専門家の眼にもかなりの衝撃だったようだ。
そして、この展覧会の一月後には、ウェールズ国立
博物館で同じくハリリ・コレクションによる明?治陶磁
器展が開会した。こちらは、京都の錦光山焼、横浜で
開窯した眞葛焼・真葛香山(宮川香山)、大阪で薩摩焼を生産した藪明?山を中心に98点を展示。英国で初めて明?治の陶芸
をまとまったかたちで紹介するものとなった。
ふたつの展覧会は、いずれもイギリス在住のユダヤ
系イラン人、ナセル・D・ハリリ博士の所蔵品による
ものだった。この「ハリリ・コレクション」は、陶磁
器270点、蒔絵250点、七宝110点、金工170点に、近年購入した柴川是真90点を加えて、およそ900点からなる一大明?治美術コレクションだ。是真の蒔絵のような正統的な作品の一方で、このコレクションには有名無名の工人による、いわゆる輸出工芸の傑作が多数含まれている。日本製とはいえ、海外の顧客のために構想された奇想天外なデザイン、国威をかけて縦横に駆使された技術の粋。日本国内には無いこうした内容の特異性と規模の大きさとが、ハリリ・コレクションの特徴である。
一般に欧米人は、裕福になるとイタリアやオランダ
絵画の蒐集に向かうことが多い。そうした蒐集が一つ
の伝統的ステイタス・シンボルでもある。ところが、
ハリリ博士はイタリアやオランダには目もくれず日本
の美術、それも明?治という時期に蒐集を絞りこんだ。
それはなぜか。そして、こんなコレクションを作り上
げたハリリ氏とは、どんな人物なのか。
「インタビューはなるべく断ってている」という(ハリリ氏を、彼の広報担当を務める友人に説得してもらって一月旬、ようやくインタヴューにこぎ着けた。(後略)
(ハリリ・コレクション以外の掲載作品一部紹介)
明?治26年(1893)、シカゴ万博で絶賛された
鈴木長吉〈十二の鷹〉(全12点のうち3点)
ブロンズの地に金、銀、赤銅、朧銀による
象嵌、鋳造東京国立近代?美術館蔵
1点1点違った姿勢、肌合いのリアルサイ
ズの贋12羽が横一列に並ぶこの作品は、美
術商・林忠正のディレクションによる日本
工芸の一大デモンストレーションだった。
背景の写真(東京国立博物館蔵)は、シカゴ
万博の会場。中央に〈十二の鷹〉が見える